献辞  ドラクエ1が発売されたのは1986年5月27日。今年(2011年)で25周年を迎えます。  それを記念して、スクウェア・エニックスから、ファミコンとスーパーファミコンのドラクエをそのままの形で復刻させた『ドラゴンクエスト1・2・3(Wii)』が発売されました。  ファミコンのドラクエ1~3発売当時、私はまだ小学生でした。1と2は年上の従兄弟に貸してもらってクリアし、3は近所のおもちゃ屋さんで予約して買いました。予約をして、実際に発売されるまでのしばらくの間は毎日「ドラクエ3をやるまでは何があっても死ねない」と半ば本気で思っていました。今だとゲームを予約しても、いつの間にか発売日になっていて「ああ、もう発売日が来たのか」という位のものですけどね。  私はまだ独身で子供もいませんが、これを読んでいる方の中には、当時、僕と同じようにドラクエを遊んで、今は自分の子供が当時の自分と同じ位になるという方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?  また、私と同じように当時そのままにゲームで遊んでいる方もいらっしゃることでしょう。  その辺りは人それぞれだとは思いますが、今のあなたは子供の頃に思っていたような大人になっているでしょうか?  そんなことをつらつらと考えながら書きました。  と、言うわけで……  この話をあのころ子供だった全てのドラクエ好きファミコン世代に捧げます  午前五時。普段なら、絶対に起きることのない時間だ。  もしこれが昨日だったら「あと二時間も眠れる」「あと二時間で起きないといけない」という二つの思いを抱いて、再び目を閉じていただろう。だけど、今日は違う。僕は起きた。跳び起きたといったっていい。寝てなんかいられない。眠れるはずがないんだ。頭の中では「ゆうべはよくおやすみでしたね」のメッセージが浮かんでいる。早く冒険の旅を再開したい気持ちで一杯だ。  布団から跳び出た勢いそのままにすぐにでも部屋を抜け出してしまいたい所だったけど、そこはぐっと抑えた。先にするべきことがあるからだ。入学からの5年間をともにした、つぶれてぺしゃんこになりかけている茶色く汚れたランドセルを手に取って、中身を確認する。国語、理科、社会、算数……あれ? 国語、理科、社会、算数……おかしいな、何度確認しても、算数のノートがない。確かに入れたはずなんだけど……。昨日の夜、算数の宿題を途中までして、それから……。ああ、あった。机の上にあった。ランドセルに入れた気がしたんだけど。まぁ、いいか。机の上にあったってことは入れ忘れていたんだろう。ノートをひっ掴むとランドセルに突っ込む。これで準備は整った。僕はランドセルを片手に部屋を抜け出した。  早起きしたのは、ある目的があったからだ。僕の胸が高鳴っているのもそのためだ。でも、もしお母さんにばれたら、怒られてしまうだろう。だから、隣の部屋で寝ているお父さんとお母さんを起こさないよう細心の注意を払って階段を下りる。 どんなに気を付けても建て付けの悪い築20年の我が家は、階段を一段おりるごとにギューギューと音をたてた。そのたびに、起きた気配がないかと確認のために立ち止まるから、なかなか一階までたどり着かない。「ざっざっざっ」という効果音が鳴るとともに画面が暗くなって、次に明るくなったら、すでに一階というわけにはいかない。 ――これは毒の沼地だ。  HPが減りはしないけど、一歩進んで音が出るたびに、お母さんに気づかれたんじゃないかとびくびくしてしまって精神力がすり減っていく。  お父さんもお母さんも起こすことなく無事目的地の居間にたどりついた。たどりつきはしたけど、一旦はスルーして隣の台所に向かう。それから、テーブルの上に算数の教科書とノートを広げる。  広げるのは宿題のページ。宿題はまだ全部終わっていない。それから連絡帳の宿題が書かれたページもさりげなく広げておく。  別に算数の宿題をするために早起きをしたわけじゃない。これはこれとして置いておき、居間に戻って、テレビの前に座った。  ようやくここからが本番だ。  まず、テレビをつけるんだけど、先にイヤホンをさして音が出ないようにした。音量がどういう状態かわからないので、テレビをつけるのにも細心の注意を払う必要があるからだ。ここまできて、大音量で起こしてしまってはすべてが台無しになる。  昨日の夜遊んだそのままの形のファミコンを引き寄せる。  日焼けしてすっかり黄ばんでしまった本体には「ひろし」と黒のマジックで書かれてある。お父さんが書いたんだ。見るたびにイラッとした気持ちにさせられる。何も本体に名前を書かなくてもいいじゃないか。ソフトならともかく、本体をどこかにやるはずがないのに。  小豆色の電源スイッチをONにスライドさせると、真っ暗な画面に「ENIX PRESENTS」と浮かび上がってすぐに消えた。FM音源の音楽とともに「DRAGON QUEST」の文字が画面中央を昇っていき、少し遅れてローマ数字の「2」が描かれた盾が降りてきて、二つは重なった。  ふと時計を見ると、もう五時十分だった。いつもなら、六時にお母さんが起きて、朝ごはんを作り始め、出来上がるころにお父さんが起きるというパターンだ。でも、今日はお父さんのお休みの日だから、お母さんが起きてくるのは六時半頃のはず。  お父さんも休みの日に早起きをする必要はないわけだから、起きてくる心配はないだろう。  休みの日でも昼前には職場に行っているみたいだし、絶対に起きてこないとは言えないけど、今までで学校へ行く前に顔をあわせることがなかったから大丈夫だと思う。  休みの日に限らず仕事の日も全然顔をあわせることがない。僕が起きる前には家をでて、帰ってくるのは僕が寝た後だからだ。土日だって仕事だし、一緒に住んでいながら、顔をあわせるどころか、気配を感じることすらない。別にいいけど。用事もないし。  余計な事を考えている場合じゃなかった。思考を元に戻す。お母さんの起きる時間が、いつもの休日パターンだとすると、今からフルに時間を使っても、残り八十分しかない。少し余裕をもって、十分前には電源を切ってアリバイ工作の時間にあてたいから、実質残り七十分だ。復活の呪文が聞ける場所まで戻って、それを書き留めて、間違いがないかを見直して――これも十分位はみた方がいいだろう。となると、残り時間は大体一時間ってところか。思うほど時間はない。  テレビ台の引き出しからノートを取り出し、中に書かれた復活の呪文を間違いのない様に打ち込んでいく。  じゅもんが ちがいます  よくあることだ。焦るのはまだ早い。「べ」を「ぺ」に変えたり、「め」を「ぬ」に変えたり、逆に「ぺ」を「べ」に変えたり、「ぬ」を「め」に変えたり、「べ」を「ぺ」に変えてかつ「め」を「ぬ」に変えたりと、色々試した結果、どうにか始めることができた。  スタート地点は、最後の復活の呪文ポイントであるロンダルキアのほこら。僕の名前を付けたローレシアの王子は、すでに最強装備だ。  昨日の夜、ようやくロンダルキアへの洞窟を抜け、「さあこれから雪原を冒険しよう」というところでタイムアップ。「ゲームは一日一時間」がお母さんとの約束だから、それ以上はゲームを続けることはできなかった。復活の呪文を書くことだけはなんとか許してもらえたから「どうか敵に遭遇しませんように」と祈りながらロンダルキアのほこらを目指した。でも、そんなときに限ってエンカウント率が高いんだよな。  そして今日だ。ここまできているからには、当然目標は「打倒! ハーゴン」。  意気揚々とクリアを目指して冒険を再開したものの、ロンダルキアの地は予想以上に厳しかった。  デビルロードにメガンテをくらって一瞬で全滅した時は、リセットボタンを押したい衝動にかられた。そんなことをすれば、また復活の呪文を入れるところからなるので必死に耐えた。怒りの矛先をどこに向けて良いのかわからず、コントローラーを床に叩きつけそうにもなったけど、それもギリギリで耐えた。  その次は、唯一ザオリクをつかえるサマルトリアのカイン王子が真っ先に死んで出直しになった。  その次でようやくハーゴンの神殿までたどりついたものの、ムーンブルクのサマンサ王女がのべ三回死んで、死ぬたびにカインがザオリクを唱えなくてはならず、MPが半分程にまで減っていた。  神殿につくまでにこんな状態では、ハーゴンを倒すどころの話じゃないな。もうちょっとレベルを上げなきゃダメだ。朝のうちにさっくりクリアしてしまおうという僕の目論見は外れた。エンディングが見たくて早起きしたのに、目的を見失ってしまった。  少しの間、呆然としていたけど、我に返って時計をみたら、もう六時すぎだった。どう頑張ってもあと十五分位しか遊べない。  しょうがない。とりあえず、消費した薬草を買っておくか。ルーラでムーンペタまでとぶ。  長い洞窟に入るときや、洞窟の最後にボス戦が予想されるときは、なるべく薬草を数個持って行くようにしている。ホイミ分のMPを節約したところで何になるというわけでもないんだけど、本当に切羽詰って、わらをもつかむ気持ちの時、ボス戦の前でわずかにHPが減っていて、ホイミを使うほどじゃないけど満タンじゃないと気持ちが悪いという時なんかに使う。  薬草を5個ほど連続で買うと、福引券をおまけしてもらえた。序盤では、福引券狙いで毒消し草をひたすら買って、福引券がもらえたら毒消し草ごと全部うっぱらう、ということを繰り返して、お金を貯めるなんてことをしていたけど、ここまできて、いまさら福引券一枚分くらいの小銭を稼いでも仕方がない。素直に福引をすることにした。今日一日の運試しだ。  一個目は、太陽。  二個目も、太陽。  これで次に何が出ても福引券はゲットだ。  そして三個目――太陽だった。  あ。当たった。ファンファーレが鳴り始める。太陽って何等だっけ。ハートが5等の薬草ということくらいしか印象にない。あれ、でも、もしかして太陽って……と思っているうちにファンファーレは鳴りやみ、メッセージが流れる。  おめでとうございます!  1とう ゴールドカードが  あたりました!  どうやら太陽は一等で、僕はゴールドカードが当たったらしい。一瞬、信じられなかったけど、刹那後、現状を理解して思わず声を上げそうになる。  ゴールドカードが当たった。しかも一回で当たった。超レアアイテムじゃないか。今日一日の運を使い果たしてしまったかもしれない。  興奮が抑えきれない。危ない。今、声を上げたら起きてしまう。やばい。復活の呪文をメモらなきゃ。クリアはできなかったけど、早起きした甲斐はあった。一旦、ここで終了しよう。復活の呪文を書き終えるまでに、親が起きてきたら目も当てられない。慌ててノートに呪文を書き始めたところで、二階から物音が聞こえた。  まさか、もう起きた? 時計を見る。まだ六時十分だ。なぜ? まだ起きる時間じゃないのに。  喜びが一転、暗雲が立ちこめはじめる。ゴールドカードが当たった所で一日の運を使い果たして、後は不幸しか残っていないというのか。思い切り気持ちをあげておいて、一気に叩き落とすようなこんな仕打ちってないよ。こんな罰を受けるほど、僕が悪いことをしたというのか。早起きをしてお母さんに内緒でファミコンをするのがそこまでいけないことなのだろうか。  でも、諦めるのはまだ早い。起きてもすぐにおりてくるとは限らない。おりてくるまでに復活の呪文を書き終えたらいいんだ。 ――という淡い期待はすぐに打ち消される。ギューギューと階段をおりる足音が聞こえてきた。  どうすればいい。どうすればこの状況を打破できる。迷っているうちに、階段をおりる足音が一歩一歩近づいてくる。駄目だ。復活の呪文を写している暇はない。早くこの場を離れなくてはいけない。隠れてゲームをしていたことがばれたら、「一週間ゲーム禁止」のペナルティを課せられてしまう。あとちょっとでクリアってところで、一週間も待っていられるものか。学校に行って帰ってくる数時間が我慢できなくて、朝から隠れてしているくらいなのに一週間は耐えられない。ノートを引き出しにしまい、テレビを消し、イヤホンを抜いて元の位置に戻す。朝からファミコンをしていたという痕跡はなるべく消しておかなければいけない。  でも、ファミコンの電源だけは切らずそのままにしておいた。折角ゴールドカードが当たったのに、消してしまうなんてとんでもない。電源がONになっていることに気付かれたら昨日の夜からずっとつけっぱなしだったということにすればいい。電源を消されたり、誰かが知らずに動かしてフリーズさせらされたりしなければいいんだ。  学校が終わって帰ってくるまでの間、誰もファミコンに触りませんように。  階段をおりる足音が終わったとき、僕は台所にいた。 「なんだ? 朝から勉強してるのか?」  起きてきたのはお父さんだった。もしかして今日は休みじゃなかったのかな。でも、そんな話全然聞いてない。 「宿題。昨日の夜、どうしても眠くてできなかったから」 「いつごろから起きてたんだ? 無理すんなよ」 「5時ごろかな。あんまり覚えてないけど」  起きた時間はうそをつかない方がいいだろう。もしかしたら、階段を降りる音を夢うつつの中ででも聞かれているかもしれないから。その時たまたま時計をみていたかもしれない。嘘は最小限の方がいい。 「随分早くから起きてたんだな。そんなに宿題があったのか?」 「うん。算数の宿題がまるまる残ってて。でも、もうちょうど終わるところ。あと三問で終わり」  これが僕のアリバイ工作だった。 「あと三問?」  お父さんは僕のノートを覗き込む。……別に興味もないくせに。だけど、ちょうどいい。アリバイ作りに協力してもらおう。  お父さんに見られながら問題を解いていく。一問解き終わったところで、それとなく連絡帳に視線をやる。お父さんもそれにつられて連絡帳を見てくれた。 「ほら、算数の宿題だけだからさ」  連絡帳の宿題の欄を指さす。 「算数得意だしさ、朝からやっても十分間に合うと思って寝ちゃったんだ」  目の前で問題を解くことで、あたかも早起きして、朝から全部やったかのように見せかけることができる。実際には昨日の夜に、三問だけ残して終わらせてあったのだけど。  お父さんは納得したのかしないのか曖昧に「ふーん」というと、テーブルの向かい側に座った。なんとなく監視されているようで気分が良くない。 「なんでわざわざ台所でやってるんだ? 自分の部屋でやりゃいいのに」  想定内の質問だ。答えはすでに用意してある。 「自分の部屋であんまりごそごそやってると、お父さんたちを起こしちゃうかな、と思って」  お父さんはまた「ふーん」とだけ言った。  それから数分。 「やっと終わった」  あまりわざとらしくならないように気を付けつつ、独り言のように呟いて、テーブルの上に出したものをランドセルに片付けていく。大丈夫。何も不自然な点はなかった。これで僕のアリバイは完璧になるはずだ。 「お疲れ様。朝から頑張ったな」 「うん」  そこで会話が途絶える。ただでさえ久しぶりなのに、二人きりだなんて何を話して良いかわからない。  結局、僕は耐え切れなくなって「顔洗ってくる」と、逃げ出してしまった。 「おう。ちゃんと歯も磨けよ」  わざと宿題を長引かせればよかった。そうすれば、お母さんが起きてくるまでの間、時間を稼げたのに。  のろのろと顔を洗って、だらだらと歯を磨く。あとは、トイレにこもっていればいいか。お父さんが嫌いなわけじゃないんだけど、二人きりというのがただひたすらに気まずい。なんで今日に限って、こんなに早く起きてきたんだろう。休みの日らしく、もっと寝てればいいのに。せめてあと5分だけでも寝ていてくれたら、復活の呪文をうつすこともできたのに。そんなことをトイレで考えていたら、階段を下りる音が聞こえてきた。お母さんだ。あまりすぐに出て行いくと、お父さんをさけてしまったことがばれるので、少し時間差をつけてトイレから出た。 「あの子、朝から宿題していたの? ゲームばっかりやっているから……」 「いいじゃないか。朝からでもやるんだったら。『ゲームばっかり』っていっても、ちゃんと一日一時間を守っているんだろ?」 「それはそうだけど、一日一時間やりなさい、っていっているわけじゃないのよ? 宿題ができてないんだったら、ゲームなんてしてないで、宿題を優先させるべきじゃないの」 「そもそも、その一日一時間という数字に何の根拠があるんだ。宿題ができていないと、その一時間すらもできないというのなら、逆に宿題ができているのなら一時間以上してもいいということになりはしないだろうか」 「もういい。黙って」  トイレから出ると、お父さんとお母さんが普通に話をしていた。  当たり前か。話をするのが久しぶりなのは僕だけで、お母さんはいつも朝も夜も会っているんだもんな。 「今、お父さんから聞いたんだけど、朝から台所で宿題していたの?」 「うん。そうだけど?」 「なんで昨日の夜のうちにしとかなかったのよ」 「眠たかったから。朝からでも十分間に合うと思ったし。それに眠たい頭でするよりも、一晩寝てすっきりした頭で宿題をする方が効率もいいし、記憶にも残るんじゃない?」 「変な理屈をこねないの。学校に行く準備は、夜のうちに済ませておくものです」 「別にいつしたって、学校へつくまでに終わらせれば一緒じゃん」 「一緒じゃない。規則正しい生活をおくれてないじゃない」 「規則正しい生活を、っていうならこれから毎日早寝早起きをして朝から宿題をする方向にすればいい?」 「そういう問題じゃないでしょ」 「じゃぁ、どういう問題?」 「全く理屈ばっかり……誰に似たんでしょうね?」  朝から宿題をしていたというのは全面的に信じてくれているようだ。 「なんで俺の顔を見るんだ。思うに母親の教育がなってないんじゃないのかな」 「土日も仕事で、休みの日もほとんど家にいない父親に言われたくないなー」 「そういうなよ……いつまでもこの状況が続くわけじゃないんだから」 「そう言ってもう何年よ」  言葉の険悪さの割には、表情は穏やかだった。口喧嘩をしているというわけじゃなくて、今までに何度も繰り返してきたお約束の会話なんだろう。二人だけで話しているから、朝に宿題をしていた件については終わったのかと思って冷蔵庫から牛乳を取り出して飲もうとしたら、矛先が戻ってきた。 「何、くつろごうとしているの。まだ話は終わってないのよ。夜、ゲームしたせいで眠くて宿題できなかったんでしょ? それに遊んだあと、ゲーム機出しっぱなしにしてるし……。いつも使い終わったら片付けるように言っているでしょ」  この流れはまずい。話がだんだんと広がってきた。おそらく、お母さんが次に言うセリフは「今すぐ片付けなさい」だろう。その言葉を聞く前に何か言わないといけない。自らの手でゴールドカードをシュレッダーに突っ込むようなまねをしなくてはいけなくなる。どういって切り抜ければいいだろう。何か起死回生の一言を見つけないといけない。だけど、すぐには言葉がでてこない。どうすればいい……? ――その窮地を救ってくれたのは、意外にもお父さんだった。 「今は『なぜ、朝に宿題をすることになったか?』の話だ。後片付けの話は、別の話じゃないか。叱るポイントがとっちらかったら、叱られる方も何を叱られたのか曖昧な印象しか残らないだろ。それに今そんな話をしていたら、朝ご飯を食べる時間がなくなってしまう。また学校帰ってきてからにしなよ」  助け舟を出してもらったのはいいけど、お母さんに対する偉そうないい方になぜかムッとしてしまった。多分、言われたお母さんはもっとムッとしていることだろうと思う。  そのお母さんはといえば、まだ何か言いたそうだったけど、黙って朝ごはんを作り始めた。 「ファミコンはそのままにしておくから、学校から帰ってきたらちゃんと自分の手で片付けるんだぞ」 「わかった。自分でちゃんと片付けるからそのままにしておいて」  願ったり叶ったりだ。これで片付けられる心配はなくなった。あとはまわりを歩く振動だとか、コードにひっかかってつまずくだとか、掃除機があたるだとかしてフリーズしてしまわないかだけど、これらばかりはどうしようもない。完全に運だ。  僕が帰ってきたとき、ファミコンは無事起動しているだろうか?  いつもと変わらない授業が何倍以上もの時間に感じられた。幸い今日は4時間目までで終わる日だから、給食を食べたらもう帰宅時間だ。寄り道することなくまっすぐに帰る。帰り道もファミコンはまだ大丈夫だろうかということばかり考えていた。とりあえず、復活の呪文だ。復活の呪文さえ書けたらいいんだ。 「ただいまー」  癖で言っているだけで、家に誰もいないのはわかっている。妹の保育園が終わる時間まで、お母さんは仕事で帰ってこない。  玄関から居間に直行する。  良かった。ファミコンは朝出た時と同じ形のままだった。少しだけホッとする。でも、まだ安心はできない。ゲーム画面を見るまでは。  テレビをつけて、ファミコンのチャンネルにあわせるがドラクエの画面がでない。 ――だめだったか。落胆とともに、視線がファミコンにいく。  あれ? 電源がオフになっている。  片付けるのは僕にさせるとはいっても、電源がついていることに気づけば消すか。そりゃそうだよな、そりゃそうだ。  失われたデータはもう戻ってこない。僕のゴールドカードが……。  しばらく放心していた。放心した後『レアアイテムは戻ってこないけど、もうすぐクリアはできそうなんだから、ここであきらめちゃいけない』と、なんとかやる気を奮い起こした。  復活の呪文を書き溜めたノートを取り出そうと、テレビ台の引き出しをあけると、ノートの上に封筒が乗っかっていた。  なんだろう、この封筒は、と思いながら手に取ると、封筒に「露都へ」とだけ書いてあった。  僕宛の手紙? 多分、これはお父さんの字だ。お母さんはもっと字がきれいだから。  お父さんがなんで僕に? チョコレート色のランドセルを置き、封筒の片側を手で破く。中には便せんが数枚入っていた。  ファミコンの電源が切られていてびっくりしたか?  びっくりしただろうな。だけど、安心していいぞ。この手紙の最後の一枚を見てみろ。俺が復活の呪文を書いておいてやった。 (手紙を数枚めくると、最後の一枚に復活の呪文らしきものが書いてあった。手紙の内容よりも、これが本当に朝の復活の呪文かどうかの方が気になったから、ファミコンをつけて確認してみた。字が下手すぎて、解読に時間はかかったけど、入力し終えてみると確かに朝の復活の呪文だ。ゴールドカードもちゃんと持っていた)  それから、もう一つ安心させておいてやろう。お前が朝からゲームをしていたことは、お母さんには話していない。お母さんは完全にお前が朝から宿題をしていたというのを信じているようだった。だから、このことは俺とお前だけの秘密にしといてやる。  実際、なかなか良い方法だったと思う。昨日の夜、三問だけわざと残しておいたんだろ? それから朝、ゲームをして、俺かお母さんかが起きてきたら、その残した三問を目の前で解く。そうすれば、あたかも朝からずっと宿題をやっていて、ちょうど終わらせたようにみせることができるもんな。  だが、残念ながら、お前のその計画にはひとつだけ、たった一つだけでありながら致命的な計算違いがあったんだ。  それは俺が昨日の夜、ほとんどやり終えた宿題を見てしまっていた、ということだ。俺がいつも仕事を終えて帰ってきて、お前の宿題を見てから寝ているということを知らなかっただろ?  いつも完璧にこなしていて偉いと思うよ。塾だって忙しいのにな。本当にお前って、俺の頭の良さとお母さんの几帳面さとを併せ持っていて、二人のいいとこ取りだよ。外でこういうことをいうと親ばかだって言われるんだけど、実際そうなんだからしょうがないよな。あと「自分で自分の事を頭が良いとかいうな」とも言われるけど、これも実際そうなんだからしょうがないよな。  朝の話に戻るけどさ、机の上に宿題のノートが出ていたところで、お前は何かがおかしいと気付くべきだったんだ。  お前は間違いなくランドセルに入れていた。机の上に出したのは俺だ。宿題が全部おわってなかったみたいだから、教えてやろうと思ってな。六時半までに起こしてやれば間に合うだろう、と少し早めに起きてみたんだが、完全に余計なお世話だったようだ。たまには親らしいことを、と思ったがなかなかうまくはいかないな。  そもそも俺の方こそが、おかしいと気付くべきだったんだよな。いつも完璧なお前が三問だけ残しているなんてことがあるかどうか。  さすがに「五時ごろから起きている」っていうわりには、残り三問のままで変わってなかったから、本当は他のことをしていたな、ってすぐにわかったよ。「それでは何をしていたんだ?」という疑問がわくわけだけど、お前が朝早く起きてすることっていったら、ゲームしかないな、とすぐに解決した。俺も良く親に隠れて朝早くに起きてやったもんだ。  まぁ、なんだ。唐突だけど、こういうことをお前に伝える機会ってないから、ついでにいっとくよ。普段、全然遊んでやれなくてごめんな。  俺が子供のころ遊んでいたゲームを、お前も同じように遊んでるのを知って、正直嬉しかった。きっちり復活の呪文ノートまで作ってさ。やっぱここは手書きだよな。お母さんに言わせれば「携帯のカメラででも撮っとけばいいじゃん」って、ことになるんだろうけど、そんなのは風情がない。手で書き写してこそ当時のわびさびが感じられるというものだ。  そうだよな? 露都。  なんでも困ったことがあったら、お母さんに相談するんだぞ。お前と直接話をする機会はなかなかないけどさ、お母さんからお前の話はいつも聞いてるから。一緒に悩んでやるからな。 父・ひろし より P.S. お前の名前、ドラクエ3のキャラにはつけられないんだ。すまん。  手紙を読んで笑ってしまった。何がおかしかったわけでもないけど、なぜだか笑ってしまった。  何が風情だ。何がわびさびだ。『そうだよな? 露都』じゃないよ。『今の小学生に昔のゲームをやらせたら、難しくてすぐに投げるだろうな』っていわれるのが悔しいから、当時のままでやってみようと思っただけだ。 「朝からファミコンをやっていたことを俺は知ってるんだぞ」っていうだけのことをよくこれだけ大げさに長々とかけたものだ。  昨日の夜に、宿題を見ていたからわかっただけじゃないか。  でも――毎日僕の宿題を見ていたなんて知らなかった。  明日も少し早くに起きようかな。お父さんに「風情もわびさびも感じていない」ということをはっきり言っておかないといけない。あと、字が汚くて読みにくかったことも言わないといけない。  まったく字が汚いにもほどがある。特に最後の「ひろし」の文字なんて、ファミコンに書いてある「ひろし」と全く同じじゃないか。子供のころから字が全然変わってないのかよ。  そんなことを考えていると、他にもいっぱい言わないといけないことがあるような気がしてきた。これからは毎日早起きして一緒に朝ごはんを食べるのもいいかもしれない、と思う。  僕は手紙を折りたたむと元の封筒に入れなおす。  なくさないように机の引き出しにしまっておこう。  大切な「ふっかつのじゅもん」だから。